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東京裁判で唯一法の真…
05/26 18:56
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東京裁判で唯一法の真理に基づいて判決を出した パール博士

パール博士は、インドが生んだ偉大な国際法学者。
戦後、インドの首相となったネルーは、東京裁判のインド代表判事にパール博士を任命した。
パール博士は、親友であるネルーの懇請と期待に応えてカルカッタ大学の副総長を辞任し来日した。
東京に来たパール博士は宿舎のホテルの周りが、一面焼け野原になっていることに呆然とした。
博士は、アメリカが東京に空襲を行い国際法に反して多数の一般市民を虐殺した東京大虐殺の実態を目の当たりにした。
博士は、この戦争の真相を求めることに没頭した。
東京裁判は、検事も判事も全部が戦勝国側で占められ日本にはまともな弁護もさせないという一方的で不公平な裁判。
遅れて判事団に加わったパール博士は起訴状の矛盾を見ぬき、東京裁判の不当性を徹底的に追及した。
そして、国際法の法理に基いた厳密な考証を行い、敢然として日本のA級被告全員に無罪の判決を下した。
博士は、東京裁判について法律にも正義にも基づかない裁判である法律的外観はまとっているが、本質的には執念深い報復の追跡であると結オた。
博士の堂々とした揩ニ該博な知識は、国際法学会での博士の名声を高めた。
その後、博士は、インドの最高栄翌ナあるPADHMARRI勲章を授与されたり、ジュネーブにある国連司法委員会の議長にも就任するなど、非常な尊敬を受けた。
わが国では、パール博士の判決はアジア人として民族的に偏向した極端な所説だといった見方が一部にあるが、博士は次のように明言している。
私は日本の同情者として判決を下したのでもなく、またこれ裁いた欧米等の反対者として裁定を下したものでもない。
真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである東京裁判の判事の中で、パールと共にもう一人重要な存在であるオランのレーリンクは、パール判決に深い敬意を表している。
彼は、自分は裁判当時は国際法については何も知らなかったと語っており、判事中で国際法の専門家はパール博士のみだったと認めている。
またレーリンクは、西洋白人中心の歴史観を反省し植民地だったアジアの立場に深い理解を示し、日本がアジア解放に果たした世界史的役割を重視している。
東京裁判はマッカーサーの指令によって行われた。
マッカーサーは、パール博士の判決書を裁判所で読み上げることを禁じた。
パール博士は、その判決書を次の言葉で結んでいる。
時が熱狂と偏見をやわらげ、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、その時こそ、正義の女垂ヘその秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろうと。
裁判の終了後の昭和26年、マッカーサーは、米国議会上院の軍事外交合同委員会で日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったと答弁した。
これは日本が侵略戦争を行ったという東京裁判の判決を自ら否定するもの。
さらにマッカーサーは、ウェーキ島で、トルーマン大統領に東京裁判は誤りだったと告白したと伝えられる。
今日、パール博士の所説は世界の多くの国際法学者たちにも支持されている。
英国の元内閣官房長官ハンキー卿は、著書戦時裁判の錯誤でパール博士を100支持した。
その他、FJPピール氏、フリートマン教授、米最高裁のWOグラス判事など、パール支持を表明する学者法律家は枚挙にいとまがない。
平成8年には、世界14カ国の有識者85人が東京裁判を批判した言葉を集めた本が、佐藤和男博士らによって刊行された。
今や、パール博士の説は国際法学界の定説となっている。
東京裁判を語る人は、まずパール博士の判決書を読み、博士の法理の是非を自分の頭で考えてみるべきやろう。
昭和27年4月28日、日本は主権を回復した。
6年8ヶ月ぶりのことだった。
しかし、その主権は一定の制限を付せられたもの。
この年の秋、10月26日から11月28日まで、パール博士は二度目の来日をした。
11月4日に広島で開かれた世界連邦のアジア会議に出席するため。
羽田に降り立った博士は、開口一番次のように語った。
この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は法の真理である。
われわれはこの法の真理を奪い返さねばならぬまた、次のように述べた。
たとえばいま朝鮮戦争で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。
しかし東京裁判において法の真理を蹂躙してしまったために中立裁判は開けず、国際法違反であるこの細菌戦ひとつ裁くことさえできないではないか。
捕虜送還問題しかり、戦犯釈放問題しかりである。
幾十万人の人権と生命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理にのっとって裁くことができないとはどうしたことか戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。
戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。
勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。
力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。
われわれは何よりもまず、この失われた法の真理を奪い返さねばならぬと。
帝国ホテルで、博士の歓迎レセプションが行われた。
席上、ある弁護士がわが国に対するパール先生の御同情ある判決に対して、深甚なる感謝の意を表したいとという意味の謝辞を述べた。
博士はすかさず立ち上がって、こう応えた。
私が日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。
私は日本の同情者として判決を下したのでもなく、またこれ裁いた欧米等の反対者として裁定を下したものでもない。
真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。
それ以上のものでも、それ以下のものでもない。
誤解しないでいただきたいと。
また、次のように続けた。
日本の法曹界はじめマスコミも評ニも、なぜ東京裁判やアジア各地で執行された戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか。
占領下にあってはやむを得ないとしても、主権を回復し独立した以上、この問題を俎上にのせてなぜ堂々とオないのか今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。
しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるであろう。
だが、爾今、国際軍事裁判は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。
その責任はニュルンベルクと東京で盗撮開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない博士は法の真理を奪い返すために、東京裁判戦犯裁判の不法不当性を明らかにすべきだと訴えた。
それは、単に日本一国の名翌フ回復のためではない。
第2次大戦の勝者による軍事裁判によって、失われた正義と真理と信頼と平和を世界に回復するため。
博士はまた日本人に対して、次のように訴えた。
日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。
しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。
いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。
日本人よ、日本に帰れと私は言いたい広島で予定されていた特別講演を終えた博士は、原爆慰霊碑を訪れ、献花して黙祷を捧げた。
碑文には安らかに眠って下さい。
過ちは繰り返しませぬからと刻まれていました。
通訳を通じて碑文の意味を知ると、博士は憤りを露わにした。
そして、次のように述べた。
この過ちを繰り返しませぬという過ちは誰の行為を指しているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたしは疑う。
ここに、祀ってあるのは原爆犠牲者であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。
落とした者が責任の所在を明らかにして、二度と再びこの過ちは犯さぬというならうなずけるこの過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のため蒔いたものであることも明らかだ。
さらにアメリカは、ABCD包囲網をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルーとを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者であるそして、東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかったと博士は慨嘆した。
このことは新聞に大きく報じられ、碑文の責任者である広島市長との対談が行われた。
原爆慰霊碑を訪れた翌日、博士は半日、瞑想をした。
戦死者のために祈り、大東亜戦争の意義に思いをめぐらせ、ベンガル語で詩を作った。
その詩は、現在、広島市の本照寺にある大亜細亜悲願之碑に刻まれている。
詩は、原語と英語と日本語の三ヶ国語で記されている。
日本語による訳詞は、次のようになっている。
激動し変転する歴史の流れの中に道一筋につらなる幾多の人達が万斛ばんこくの思いを抱いて死んでいったしかし天地深く打ち込まれた悲願は消えない抑圧されたアジアの解放のためその厳粛なる誓いにいのち捧げた魂の上に幸あれ真理よあなたは我が心の中に在るその哲示に従って我は進む1952年11月5日ラビードパール西洋人は、500年にわたり、世界を侵略支配した。
この間、アジアの諸民族は白人の奴隷にされ、虐げられてきた。
パール博士は、この詩で、解放を求めて死んでいった人々の悲願は、天地に深く打ち込まれて消えないと謳っている。
そして日本人を含め、アジアの解放のためにいのちを捧げた人々を称え、その冥福を祈っている。
そして最後に、真理の示すところに従って進むことを誓っている。
東京裁判では、戦勝国の罪は一切問われなかった。
一瞬にして24万人以上の広島市民の命を奪った原爆は悪魔の兵器。
しかし、原爆を投下した者たちの罪は問題にもされなかった。
博士は、こうした東京裁判の矛盾を徹底的に暴露し、真理を追求した。
ところが、戦後日本人の多くは、戦勝国のたくらみによっ誇りを奪われ、先祖や先輩たちがアジア解放を目指した魂までも失ってしまった。
そうした日本人に対し、日本人よ、日本に帰れとパール博士は訴えている。
パール博士が予言した東京裁判を見直すべき時は、来ている。
東京裁判の見直しを進めろ。
それなくして、日本人が日本に帰ることはできない。
それとともに、これは、単に日本一国の名翌フ回復のためではない。
第2次大戦の勝者による軍事裁判によって、失われた正義と真理と信頼と平和を世界に回復するためであり、世界人類にとっての課題でもある。
参考資料共同研究パル判決書講談社学術文庫田中正明著パール博士の日本無罪x小学館文庫佐藤和男編世界がさばく東京裁判ジュピター出版名越ニ荒之助著戦後教科書の避けてきたもの日本工業新聞社研究社現代英文テキスト17日本弁護露nDefenseofJapansCaseownerid24780600マイミクさんの日記を転載
日記 | 投稿者 vdqeye3ec3 18:56 | コメント(0)| トラックバック(0)
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